シルクで頑張る人

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Vol.4
小山 町子 Machiko Koyama
小山 町子 Machiko Koyama
きぬのふるさと岡谷絹工房 代表
1947年岐阜県恵那市生まれ。結婚を機に長野県岡谷市へ転居。岡谷市出身の国際的テキスタイルデザイナー故宮坂博文氏に師事。現在、きぬのふるさと岡谷絹工房代表。

 

岡谷シルクの製品化には欠かせない存在である、きぬのふるさと岡谷絹工房。代表の小山さんは、ずっと染織の仕事や着物にかかわる仕事をされていたのですか?

― 結婚するまでは、名古屋のデパートで販売の仕事をしたり、岡谷に来てからはオルゴールの部品をつける内職をしたり、色々したのよ。染織に出会ったのは、50代になってから。岡谷市の広報で、岡谷絹工房の後継者育成の募集をみて、第1期生として申し込んだのがきっかけ。その当時は、同期が30人程度いたけど、機(はた)が3台しかなくて。皆で、次は私が織る番だと、取り合いだったの。

 

 

日本を代表するテキスタイルデザイナーであり、岡谷絹工房を立ち上げた宮坂博文先生は、どんな方でしたか?

― 宮坂先生は、とても厳しく、昔かたぎの人で、隠れてお茶を飲んで休憩していたら、「ここは、お茶を飲むところではない」と、よく𠮟られた(笑)。でも、先生は、知的で美しいものを見る目が鋭い人だった。粗悪な絹や太い絹は、絁(あしぎぬ)と呼ばれ、見た目が不格好だから「悪しき絹」ともいわれるけれど、それぞれ個性豊かな特徴がある糸だから、織り上げたときに、とても美しい風合いになるの。だから、先生は好んでよく使っていた。「わび・さび」を大切にして、均一でないものに美しさを見出す人だったと思う。

 

 

これまで、小山さんはどんなものを作られてきましたか?

― 着物や帯は、注文を受けてたくさん作ってきたよ。昔、愛知県の老舗メーカーの御幸毛織さんが、国産100%の絹でジャケットを作るときには、工房の皆でサンプルを織ったけれど、私の織ったものが採用されて嬉しかったのを覚えている。最近だと、国立民俗博物館で弥生時代の企画展があったとき、当時の衣装のスカートを再現するために絹で製作したよ。これも絁(あしぎぬ)を使って、とても美しいものになったけど、のんびりやってたら納期に間に合わなくなってきて、徹夜して完成させたのよ(笑)。

 

 

 

これまで工房で染織の仕事を続けてこられた秘訣は、何だったのでしょうか?

― とにかく、楽しかった。わからないことが多くて、工房の仲間と機に向き合って、関連の参考書を片っ端から読んで、頭をひねって考えた。宮坂先生も易々と教えてくれる人ではなかったし、皆、先生に聞くのが怖かったから(笑)。わからないことを研究して、分かる、できる、ようになるのがとても楽しかった。楽しいことじゃないと続かないね。いまも、先生が残してくれた布から、どういう構造で織ったのか糸をたどって研究しているところ。

 

 

これから、小山さんが作りたいものはありますか?

―これからは、自分のために何か作りたいね。1反織りあげるのには根気がいるけど、着物がいいかな。岡谷シルクでできたらいいね。皆と同じものを作っていたらダメ。個性を生かして面白いモノを作っていきたい。

 

「岡谷シルク」のものづくりは、まだまだ始まったばかり。岡谷の地域資源を活かして、関わる人がみえる魅力的なモノづくりをしていきたいですね!

 

 

(11/7/2022)

聞き手:渡邉 陽子/第2期岡谷市地域おこし協力隊

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