シルクで頑張る人

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Vol.2
宮澤健 Ken Miyazawa 宮澤玲 Ryo Miyazawa
宮澤健 Ken Miyazawa  宮澤玲 Ryo Miyazawa
『やなのうなぎ観光荘』 代表取締役   『やなのうなぎ観光荘』 広報
(写真左)宮澤健さん。1977年岡谷市生まれ。1995年、岡谷工業高校機械科卒業後に上京、調理師専門学校にて調理・経営を学ぶ。イタリアンレストラン・和風創作料理店・カフェなど都内の様々な飲食業に携わった後、2004年に帰郷し観光荘入社。2007年取締役就任、2019年代表取締役就任。創業60年を超える老舗の三代目として伝統の味を守りながら、「シルクうなぎ」の開発、宇宙食プロジェクトなど地域の魅力を未来につなぐ事業にチャレンジしている。 (写真右)宮澤玲さん。1975年神奈川県横浜市生まれ。大学では芸術を専攻。アートと映像、音楽などを学ぶ。大学時代は1年に一度は海外をバックパック1つで旅ををするのが趣味の旅好き。大学卒業後は平日は広告のグラフィックデザイナー、土日はバンドという生活を送る。2006年に結婚し、岡谷に移住。観光荘ではメニューや広告制作、パッケージデザインのディレクションやブランディングから労務、経理まで担当する。

「岡谷のサナギで育ったうなぎ」を宇宙に飛ばしたい。

創業60年を超える老舗うなぎ屋の三代目が

宇宙食という高いハードルに挑むのは

子供たちに大きな夢を与えたいからでした。

足元の魅力を知ることで、広い宇宙も目指せる!

岡谷とシルクの可能性にわくわくするインタビュー!

江戸時代後期に建てられた趣ある茅葺屋根の建物。ここは『やなのうなぎ観光荘』岡谷本店の別棟。観光荘は天竜川沿いにある創業60年を超える老舗うなぎ屋。店名に簗(やな)とあるように、昔、天竜川では竹や木で作った簗という仕掛けで鰻や川魚を捕ったそうで、初代店主は岡谷市最後のやな師でした。この茅葺の建物は漁の時に使われていたもので、三代目の宮澤健さんが現在の場所に移築されたそうです。

 

― 今日はこのような素敵なお部屋にご案内いただきましてありがとうございます。本館も別棟も天竜川の眺めがすばらしいですね。

 

宮澤健さん

2017年に大改装を行いました。実は改装前は天竜川が見える席は4~5席しかなかったんです。お客様から「お店に入る前は天竜川が見えたのに入ったら見えない」とよく言われました。年配のお客様も気持ちよく安全に過ごしてもらえるように店内をフラットにして、全部の部屋から山と川が見えるようにしたんです。

 

― それは大改革ですね。東京での修行経験を生かされたのでしょうか?

 

宮澤健さん

東京ではイタリアン、創作料理など様々な店で働きました。あえてうなぎ屋は外したんです。そこで学んだのは、料理もそうですけどマネジメントや、店舗を回すことでした。こちらに帰ってきたら東京の店のモチベーションとあまりにギャップがあって、カルチャーショックを受けました。当時は荒れていた時期もありました(笑)。両親に暴言を吐いたりとか…。自分の中ではこのままではいけないという気持ちがあって、でも何を変えていいかが分からなかったんです。

 

― 最初はご両親と軋轢もあったんですね。それが変化するきっかけはあったのでしょうか?

 

2010年に松本に新店舗を出しました。自分の権限でお店を出すとなると責任も重く、ちゃんと考えなければいけないことがたくさん出てきました。

 

そんな時にお客様から大事なことを教えていただいたんです。

あるお客様からお母様が危篤で、亡くなった時に鰻重が欲しいという依頼がきました。お店で食べる時と同じ重箱に入った鰻重を、重箱ごと一緒に連れて行かせてあげたいとの事でした。その時に、人が最後の最後に食べたい食事を作っているのはすごいことだと思いました。しかも、祖父母の時代からの思いを父母が引き継いで、お客様も何かあるたびに観光荘を使ってくださって、その長い歴史の集大成の中でそこに行きついている。そういう時に選んでいただける店であり、お客様の記憶に残る食事を作ることが大切だと気付かされました。そこから祖父母の思いを文字にして、紙に起こし、とにかく滾々(こんこん)と伝えるというか、現場に落とし込んでいく作業を妻と相談しながら行いました。それがだんだんスタッフに浸透していって、業績も上がっていきました。

 

 

 

宮澤玲さん

彼があまりいい感じでなかった頃は、従業員に彼の思いが伝わっていなかったところがありました。伝わっていないのに、なんでできないの?と言っている状態だった。それがどんなお店にしたいか、社長の思いをしっかり伝えるようになって、従業員も求められていることが理解できたように思います。今はお店の雰囲気も良くなって、その分お客様も来てくださっているのかなという実感があります。よく頑張ったんじゃないかなと(笑)

 

宮澤健さん

褒められた!普段、全然褒めないのに(笑)

 

玲さん

あの頃は私も子育て中だったし、色々行える立場ではなかったので、どうしたらよくなるかを常に考えて伝えただけです。今は女性の活躍がめざましいですし、私ももう少し仕事をやっておけばよかったかなと思ったりもして(笑)

 

― おふたりは東京で出会ったそうですね。

 

宮澤健さん

はい、もともと音楽が好きで上京している時に仕事をしながらCDを自主制作したり、ライブをやっていて、その時に妻に出会いました。

 

玲さん

私もデザインの仕事をしながら音楽をやっていました。デザインも音楽も続けていきたいという気持ちがあったんですが、彼が岡谷に戻った後、2年遅れでこちらにきました。

 

― 移住者ですね!

 

宮澤健さん

良い視点を持っています!

 

岡谷らしさを活かしたうなぎを作る!その思いに共感した仲間たち

 

― ここ川岸地区は製糸業を興し、片倉財閥の基礎を築いた片倉兼太郎さんの生誕の地ですね。子供時代にシルクに関わる思い出はありますか?

 

宮澤健さん

産業として感じることはありませんでしたね。でも保育園の時から教育の現場でお蚕さんを育てるという事はありました。それから、池の鯉にカイコのサナギをあげていたことは鮮明に覚えています。

 

― 宮澤さん自身が餌をあげていたんですか?

 

宮澤健さん

そうです。ポリバケツの蓋を開けるとあのサナギの匂いがしましたね。自分もポリポリ食べたりして。その頃はまだ成田公園の方で養蚕か糸取りをしていたのか、その辺りを通ると匂いがしたこともありました。なので、サナギの匂いを嗅ぐと幼少期を思い出します。

 

― 宮澤さんが取り組んでいる「シルクうなぎ」は幼少期の体験から発想されたんですか?

 

宮澤健さん

そうですね。最初は「シルクうなぎ」を作ろうとしたのではなく、自社ブランドのうなぎを養殖したいと考えたんです。その時に鯉にサナギをあげていたことを思い出して、それなら岡谷らしさもあるしやってみるかと。すぐに愛知県豊橋市の養殖業者・夏目商店さんに相談しました。そしたら、豊橋も昔はシルクの産地で、うなぎにサナギを与えていたことが分かったんです。でも、うなぎ屋が生産者さんに直接お願いした前例はなかったようではじめての試みになりました。

 

― サナギはどこから入手したんですか?

 

宮澤健さん

宮坂製糸所の髙橋社長に相談しました。生糸を取ったあとに残るサナギをと思ったのですが、食用のサナギは非常に手間がかかることが分かりました。それでも全て長野県産のカイコのサナギを50,000個用意してもらいました。いま岡谷で一軒の養蚕農家さんががんばっていますが、これは養蚕農家さんにとってもプラスになるかもしれないと思いました。

 

性格的にバンッ!て思ったら、準備するよりも7割勝算があったら走っちゃえってところがあって、2020年5月に養殖がスタートして、その年の12月には50食限定で販売を始めました。

 

― それぞれの分野の方たちを巻き込む力がすごいですね。

 

宮澤健さん

巻き込まれ力はありますけどね(笑)思いに共感してくれるという事がすごく大切で、ただ形になればいいという感じではないです。

 

玲さん

初めて「シルクうなぎ」を池上げして試食する時はみんな本当にドキドキして。おいしくなかったらどうする?って(笑)

 

宮澤健さん

この前、今年の池上げがあったんですが、食べてみたら少し青臭いぞってなって。夏目商店の社長と話して泥を吐かせる期間や餌をあげない期間を調整しました。一番いい状態でお客様に出せるように、一緒に頑張れる人、面白がってやってくれる人が大切だと思います。

 

 

宇宙飛行士が宇宙で食べたいもの…それは「うなぎ」だった!

 

― その「シルクうなぎ」が今度は宇宙を目指しているそうですね。その発想はどのようにして生まれたんですか?

 

宮澤健さん

もともとは小口良平君(岡谷市出身の自転車冒険家。8年半で世界4周157か国制覇)が「次は南極、その後に月を目指している」と聞いて、「観光荘のうなぎを南極に持っていってもらおう!」という話になったんです。それで極地向けの食事を調べたら、条件が宇宙食に近いことが分かって。しかも、ちょうど宇宙航空研究開発機構(JAXA)が宇宙食を公募していたんです。

 

― 宇宙食は応募するだけでもハードルが高そうですね。

 

宮澤健さん

JAXAに地方の飲食店がうなぎを宇宙食として申請しても良いかメールで聞いてみたんです。返事来ないなぁと思っていたら、ある日、JAXAから電話がかかってきまして、「全然問題ないですよ!」との事でした。でも、宇宙食はかなり高度な衛生管理が必要だったり、想像できないことが多くて。そこで宇宙食に興味がある事を色々な人に話してみたら、情報がどんどん集まってきたんです。

 

玲さん

友達に話したら、宇宙食の漫画のアシスタントをしていることが分かって。それが「月刊!スピリッツ」で連載していた「宇宙めし!(そらめし)」です。その漫画を読んでみたら宇宙食開発のことが本当に詳しく書いてあってすごく勉強になりました。しかも、友達が作者の日向なつおさんに話したら取材に来たいということになって。

 

宮澤健さん

日向さんも取材に来てみて、この人たちガチでやっている…!と思ったらしく、生半可では書けないと何度も取材を重ねてくださって、ありがたいことにうなぎ編ということで連載に載せていただきました。来年発売予定のコミック第6巻に収録されています。

 

― 宇宙飛行士にとって「宇宙食」は楽しみというか関心が高いんですね。

 

宮澤健さん

2020年に「JAXA宇宙日本食意見交換会」に参加しました。そこに長野県川上村出身の宇宙飛行士・油井亀美也さんがいらっしゃって、「宇宙でうなぎが食べたい」という発言があったんです。

 

2021年の宇宙日本食意見交換会では、宇宙飛行士・古川聡さんが「宇宙空間で食べたいものはありますか?」という質問に「無理かもしれないけれど、うなぎの蒲焼が食べたい」と答えられたんです。その瞬間、僕らのテンション上がっちゃって!コロナウイルスの影響などで宇宙食しんどいし、止めようかと思っていた矢先の出来事だったので、うなぎ屋としてそう言われたらやるしかない!という感じになりました。

 

― 「UNAGalaxyProject(ウナギャラクシープロジェクト)」、ついに本格始動ですね。目標はいつぐらいですか?

 

宮澤健さん

2023年ごろに国際宇宙ステーション(ISS)に滞在する古川聡さん向けの宇宙日本食「プレ宇宙日本食」の認証取得を目指しています。

この9月に一次審査を突破したところです。申請書が400枚も必要でした。衛生管理、加工環境、容器・包装、微生物検査など厳しい基準をクリアして、いまは1年間の保存試験中です。同時に来年の二次審査に向けて準備しています。

「シルクうなぎ」、宇宙を目指す!そして、岡谷の子供たちの夢になれ!

 

― 宇宙を目指しているのは「シルクうなぎ」ですか?

 

宮澤健さん

そうです、絶対に「シルクうなぎ」でやろうという気持ちです。なぜかというと、子供たちに夢を与えたいからです。岡谷でも不登校の子供もいたり、狭い世界で判断して悩んだりしている子供たちもいます。岡谷出身で、自転車で世界一周した小口良平さんのような人もいるし、岡谷じゃ無理ではなく、岡谷でないとできない事もあることを知ってほしい。だから、「岡谷のサナギで育ったうなぎ」を宇宙に飛ばしたいんです。

 

ISSは地球から肉眼でも見られる時間帯があります。「岡谷のうなぎが飛んでる! 」って思いながら見てもらえたらいいですよね。

 

― そういう体験をした子供たちは大きな夢を持てますね。

 

宮澤健さん

地球環境の変化によって各国が本気で宇宙を目指している中、食は絶対に必要な物です。これから先、宇宙空間で食物を栽培したり、地球から月や火星に食物を輸送することになるでしょう。そうなった時に岡谷でも宇宙食の技術や宇宙開発に関わっている人が育っていたらいいですよね。

「うなぎ × シルク × 宇宙」、岡谷だからできる唯一無二のブランディング

 

― 「うなぎ × シルク × 宇宙」、岡谷だからこそできる唯一無二のブランディングですね。コンセプトを分かりすく伝える工夫はどのようにされていますか?

 

 

玲さん

そうですね、SNSやホームページなど色々な形で観光荘の情報を目にする時、いかに分かりやすく思いを伝えていくかを考えて、デザイン事務所さんと一緒にチームでやっています。例えば「一歩前進、元気が一番、笑顔の前に笑顔あり」という経営理念があるんですが、実際にお客様が笑顔で帰っていただくことで伝播していくものだと思うのですが、そういうことを言葉で伝えることも大事だと思っています。見た目がかっこいいことより、いかに思いが伝わるかが大切ですね。

 

宮澤健さん

「シルクうなぎ」のロゴの時も最初はメールでやり取りしていたみたいですけど、最後は事務所まで行ってデザイナーさんと一緒に仕上げたりしてましたね(笑)

 

玲さん

うなぎとシルクが一目でわかるデザインにしたかったのですが、特別なうなぎだということを伝えたくて。まず形から入るのではなくて、どういうデザインにしたいかをすり合わせました。

 

宮澤健さん

なんかCDのジャケットを作っている時みたいな、インディーズで音楽やっていた時みたいな感じ。想いとフィーリングの波長が合うメンバーで生み出すものは芸術だったり、新しいものだったりしますよね。そこって説明できない感覚ですけど。

 

玲さん

だから、この作業はすごく楽しかったです。目標に向かってどうしたらよくなるかをみんなで考える。自分のエゴで動くのではなくて、その商品の良さを伝えて、お客さんが喜んでくれるのがベストですね。

カイコを育て、シルクを活かした教育がイノベーションをおこす

 

― これからの岡谷がどうなっていったらよいかをお聞かせください。

 

宮澤健さん

岡谷は場所によって印象がすごく違うと思うんです。その中で、川岸地区の豊かさに魅力を感じていて、それを活かして何かしたいと思っているんです。

 

― 川岸の豊かさとは、自然ですか?

 

宮澤健さん

自然もそうですけど、自然と共に生きてきた先人たちの知恵が素晴らしい財産だと思います。

 

玲さん

移住してきた時に野菜の物々交換に驚きました。私にとって野菜はスーパーで買うものだったのに、栗やクルミが散歩の途中にどっさり拾えたりする。でも、どう処理するか分からなくて。

 

宮澤健さん

すると近所の方が、クルミの皮の部分は土に埋めておいて腐ってから洗えっていうんですよ。そういった情報がググらなくても来るんです。

 

玲さん

お年寄りの持っている知識がすごい財産。よく移住促進の話になりますけど、私はこういう財産が一番の魅力だと思います。

 

それから、夏明保育園という素晴らしい場所があるんです。裏山があってこれ以上ない自然保育。カエルに触ったり、川の水が冷たかったり、実体験できる。みんなで育てた野菜がイタチに食べられたりとかもいい経験ですよね。みんなデジタルの世界に慣れているので、子供の頃にいかに実体験するか本当に大切です。

 

宮澤健さん

いま教育が注目を集めている中で、保育園でカイコを育て、シルクを活かした教育ができれば特色になる。そういう教育があって、尚且つそこにいい古民家があって、畑もあって自給自足の生活できれば学校でも家でも自然や産業を学べる。それでインフラが整っていれば人は来ると思います。

人口は大きな流れで見ると減っていくので、未来に産業を興せるような人材を育てていかなければならないと思います。

 

玲さん

川岸には空き家予備軍がたくさんあるので、移住も可能だと思うんです。

 

宮澤健さん

川岸の駒沢区はあと何十年かしたら人も少なくなり、僕の大好きな棚田の風景も見られなくなってしまうかもしれない。なので、移住者の方が例えばITの仕事をしながら農業をやってくれたらいいなと思います。

 

玲さん

岡谷市街にはコワーキングスペースもあるし、アクセスも首都圏・中部・関西・県内どこにでも行きやすい。子供も貴重な体験ができますし、若い人へのそういうアプローチはささると思います。

 

宮澤健さん

その中心にシルクがあるのはいいな。農業からシルクまで、衣食住を。

 

シルクって工芸品にフォーカスが行きがちですけれども、イノベーションを起こす素材だと思うんです。例えば、宇宙服やスポーツウェアに使ったり。もっと言えば、月面で桑を水耕栽培して、宇宙でカイコを育てて、宇宙で糸取りが出来ないかなと妄想してみたり。シルクを起点にイノベーションを起こせたら面白いですね。

 

 

― 夏明保育園で学び、川岸の自然の中で育った宮澤さんが、大人になって「シルクうなぎ」でイノベーションを起こす・・・。まさに、自然教育の成功事例ですね!「UNAGalaxyProject(ウナギャラクシープロジェクト)」の成功をお祈りしています!

 

 

やなのうなぎ観光荘 https://kankohso.co.jp/

 

シルクうなぎ https://silkunagi.com/

 

(12/7/2021)

インタビュアー

佐々木千玲/第1期岡谷市地域おこし協力隊

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