シルクで頑張る人

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Vol.8
崇原 道彦 Michihiko Sonehara
崇原 道彦 Michihiko Sonehara
きもの屋そねはら 代表
1958年(昭和33年)長野県岡谷市生まれ。1954年(昭和29年)に岡谷市湊にて、先代崇原善夫が染物屋として創業。その後、1993年(平成5年)に現在地の岡谷市南宮へ移転。現在、岡谷本店と茅野駅前ベルビア店の2店舗を運営。2013年(平成25年)頃より国産繭を使用した着物の制作に着手。

 今回、岡谷市唯一の養蚕現場「三沢区民農園」で収穫される岡谷産繭を使用した着尺を制作されたと伺い、訪問させていただきました。さっそく拝見させていただきます。

ヨコ糸に使われた節(太さが均一でない)の風合いが素敵ですが、白い生地なんですね!

― (崇原さん)

はい、お選びいただくお客様のお好みの色に仕上げられるよう、白生地にいたしました。

また無地にすることで、着尺としての販売価格をなるべく抑え、多くの方に地元岡谷で育てられた繭が使われたお着物をご愛用いただければと思っております。

色づけ方法も、京都の引染め職人さんが刷毛で生地に色をのせていくため、お客さまのお手元に届くまで、日本の職人たちの「技」、手仕事ならではの「味」が感じられると思います。

また、お着物がつくられる過程での各ストーリーも楽しんでいただけるのではないでしょうか。

 

(岡谷シルクブランド認証 「澪」白生地)

 

そうなんですね!宮坂製糸所でも繭から糸になっていく様子を見るたびに職人技だと感じています。

大量生産の過程では感じることがない、生産者の顔。崇原さんの今回のお着物は、作っている皆さんのお顔が浮かんでくるようです。

今回は、岡谷産繭が市内の宮坂製糸所で生糸になり、長野市の機屋さんで反物として生まれたということですが、制作の経緯についてお聞かせください。

―(崇原さん)

今年2024年(令和6年)は創業70周年の節目を迎え、地域への感謝をこめた故郷(ふるさと)の着物を制作したいと思いました。

2006年(平成18年)ごろより、故郷の風景を着物に込めた着物づくりは行っておりましたが、市内の三沢区民農園で養蚕が復活され、国産繭からつくられる生糸の国内シェアは今や1%未満と聞くなかで、弊社も岡谷シルクの活動の一端を担いながら地域の皆で取り組むことで「岡谷シルク」を日本全国、さらにはまた世界へ送り出すことができればと思っております。

(店内には国産シルクを含む多くの商品が並びます)

 

(過去の商品の中には、着物の中に諏訪地域の風景である八ヶ岳や諏訪大社、花火や太鼓などの柄が織りこまれているものも!)

 

昭和のはじめ、最盛期には輸出される多くの生糸が岡谷産だったことや、外貨の多くをこの岡谷市で稼いだこと、日本の近代化と生糸生産が大きく関係していることは、若年層をはじめ一般的にあまり知られていないかもしれませんが、こういった新しい取り組みやつながりを通じて、もっと多くの方に知っていただけそうですね!

今回制作されました着尺にはお名前があると伺いました。

―(崇原さん)

今回、岡谷シルクのオリジナル白生地には、「澪」(みお)と名付けております。

「澪」は船が港から出航した航路をイメージし、岡谷シルクの着物の門出として、岡谷シルクブランドを多くの方に発信し、「糸都岡谷」として栄えた岡谷の歴史や文化、養蚕や製糸の素晴らしい技術が諏訪地域に限らず、多くの方に届けられるよう貢献できればと思います。

 

(きもの屋そねはら創業70周年の記念に「澪」を羽織に仕立て、早出市長に贈呈いただきました)

詳細はこちらから(きもの屋そねはら様より、岡谷シルクの羽織を贈呈いただきました – 岡谷シルク)

 

国産シルクや岡谷シルク、和装について、何か展望や期待はありますか。

―(崇原)

着物は女性のものと思われがちな昨今ですが、本来着物は、日本の人々皆が着る衣類でした。

また、着物は着られる方に合わせてサイズ変更が洋服よりも簡単で、好みに合わせてコーディネートできますし、古典的な考えにとらわれず、着物にブーツなど坂本龍馬のように自由に楽しんでほしいですね。

今回の「澪」は、幅広サイズで作っておりますので、ぜひ女性のみならず男性にもぜひ着ていただきたいと思っています。

 

そうですね!男女、世代を問わず長くご愛用いただきたいですね!

関わってくださる皆さんとともに、岡谷シルクさらに盛り上げていきたいと思います。

 

(聞き手:岡谷市地域おこし協力隊 渡邉 陽子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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