シルクで頑張る人

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Vol.7
片倉 和人 Kazuto Katakura
片倉 和人 Kazuto Katakura
愛知大学 特任准教授
1955年生、長野県岡谷市出身。京都大学農学研究科修士課程修了後、国内外のコミュニティ開発や生活改善普及に携わり、2007年に特定非営利活動法人「農と人とくらし研究センター」および「三沢区民農園」を創設。2012年より愛知大学地域政策学部特任准教授。

三沢区民農園は2007年にはじまったのですね!創設15周年を迎えたところですが、立ち上げの経緯を教えてください。

― (片倉)
2007年、当時の勤務先であった農村工学研究所(現:国立研究開発法人 農研機構 農村工学研究部門)を退職し、岡谷に帰ってきました。

約30年ぶりに帰郷して見たふるさとの風景は、私の記憶の中にあった手入れが行き届いた田畑や、自然の恵みを大切に活かす倹しい暮らしぶりからは遠く、美しいものではなかったのです。

生家がある三沢区周辺は、住宅地にかわり、残された田畑も耕作放棄されていました。そこで、三沢区の有志とともに、美しかったあの頃の風景を取り戻すため、区民のみんなと一緒に「土に親しむ」ことを目的に、三沢区民農園の活動は始まりました。

 

 

具体的にはどういった活動を区民の皆さんと行われたのですか?

― (片倉)
初めは2008年の夏に、1枚の田んぼから始めました。子どもも大人も一緒になって泥だらけになりながら、田植えをしました。3年も経つと、皆、作業も板についてきました。

田植えや稲刈りには、近隣にある児童養護施設の子どもたちや、中学校の生徒さんらがボランティアに来てくれ、地域一体となって取り組んでいました。だから、皆で一生懸命育てた田んぼがイノシシに踏み荒らされた時には、腹が立ってね~(笑)。イノシシに荒らされ、収穫を断念した田んぼもありました。

あとは、子どもたちとサツマイモやジャガイモを植えたり、大人たちは蕎麦や小麦や色んな野菜を植えて、少しずつ荒地が畑に戻っていきました。

 

あと、ヤギも飼い始めました。昔は三沢区のあちこちでヤギを飼っていたから、大人たちは懐かしい気持ちになり、皆で可愛がりました。2頭のヤギは、区民から名前を募って「ミサ」と「サワ」。そのうちに子どもも生まれて「クー」と名付けました。だから、3頭で「ミサワクー」(笑)。

ヤギの乳を絞ってヤギチーズを作ったりして、子どもも大人も熱心に色々と取り組みました。

最後に、一部の仲間からは反対もあったのだけど、当時の三沢区長の思いつきもあって桑苗を植え、養蚕をはじめました。

岡谷は製糸工場が残る全国でも貴重な場所で、市内には織物を行う岡谷絹工房もあったので、養蚕を復活させたら素材から製品まで岡谷ですべて完結できると思いました。

昔の養蚕農家は、自分たちが着るためにではなく、現金収入を得るためにやっていた側面が強いこともあって、皆、ヤギを飼うときほど乗り気ではなかったね(笑)。あと、特に年配者は、カイコをみると当時の苦しい時代を思い出すから、養蚕は嫌だという人もいたり。

でも、自分で作ったものの価値は自分たちが一番よくわかっている訳で、衣食住を自給することの大切さは、自分が「どう生きていくか」にも繋がっていると、後々になって気づいたのです。

 

ふ、、深いですね!三沢区民農園では、これまで15年間、色々と取り組んでいたのですね~!

残念ながら、もうミサもサワもクーも貰い手のところに移ってしまい、区民農園の活動も変化してきたと思いますが、15年を振り返って、区民農園の活動はいかがでしたか?

― (片倉)
これまでの活動を振り返ると、私が求める懐かしい自給的な農業は、生産性が低く、市場経済やビジネスとは相性が悪いから、今の時代にどうやったら取り戻すことができるのかと考えさせられます。

現在の繭の取引価格にしても、その多くが助成金で成り立っていることから、養蚕農家が経済的に自立することは、現代の日本において困難と言われています。

 

だからこそ課題も多いけれど、岡谷で養蚕が復活できたら、大体の作物は復活できる。生きていく上で不可欠な衣・食・住を自給することは、コメ作りで感じたとおり、不思議な力が備わることじゃないでしょうか。自分の立っている位置を足の裏で確認するような感覚をもたらし、生きていく上で心の支えになると思っています。

 

 

三沢区民農園の養蚕活動がなければ、岡谷市の地域ブランド「岡谷シルク」は生まれませんでした。

絹の着物といった衣類は、普段着として着ることは少なくなりましたが、シルクの普及にあたり、三沢区民農園の中で、何か取り組まれていることはありますか?

― (片倉)
衣はもともと身をまもるためのもので、昔は必要にせまられて手作りしていました。衣の自給は廃れて久しいけれど、今、自分の身につけるものを、一から自分で何か作れないだろうか、と考えています。

三沢区民農園の女性部の皆さんといっしょに、繭から真綿をつくったり、ずり出しで糸をとったりして、小物でいいから、誰もが手作りできる道を探っています。

 

 

私も、自分で何かを作ることは好きですし、見た目や出来はどうであれ、完成したときは大きな喜びです。

いまの日本において、手仕事が再び一大産業に返り咲くのは難しいことかもしれませんが、

これからは、一人ひとりが日本に古くからある手仕事の楽しさや奥深さを体感することで、次の世代に繋ぎ、残していきたいな~と思います。

三沢区民農園をはじめ、岡谷シルクの活動も、沢山の方に岡谷に来ていただき、その面白さや奥深さを体感してもらいたいですね!

 

聞き手:渡邉 陽子/地域おこし協力隊

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