オール岡谷産シルクのものづくりを中心に
ブランド化を進めている「岡谷シルク」。
それは市内で途絶えていた養蚕が
三沢区で復活したことから始まりました。
初代片倉兼太郎生誕の地で、
シルク岡谷の歴史と伝統を繋いでいきたいという三沢区民農園のみなさん。
その中で、養蚕農家として日々カイコに向かい合っている片倉仁さんに
お話を伺いました。
50代で訪れた人生の転機にひょんなことから関わることになった養蚕
― 今日は作業されているところ、お時間をいただきありがとうございます。
いまやっているのは、どんな作業ですか?
片倉さん
蔟(まぶし)の掃除だよ。春の養蚕で繭を取った後、蔟に残った繭の毛羽を取り除い
ている。
― 蔟とはカイコが繭を作るときに一頭ずつ入る格子状の道具ですね。一つの蔟にマス目が150個ぐらいあって、それが500枚ぐらいある。手作業で綺麗に毛羽を取るのは大変ですね。
片倉さん
秋の養蚕の時にカイコに病気が出たりしないように、道具を綺麗にするのも養蚕の大事な仕事。今日は「シルクおかや担い手育成プログラム」の受講生のみなさんが手伝ってくれているから助かっているよ。
― 片倉さんが子供の頃は、このあたりに養蚕をやっているお宅がたくさんあったそうですね。
片倉さん
その頃はうちでもカイコを飼っていて小学校ぐらいまで結構、手伝っていた。子供でも手伝えることだから、桑の葉を取りに行ってカイコにあげたりとかその程度だけど、手伝うとお小遣をくれたんだよ!
でも、子供の頃のことだからあまり記憶にない。兄貴の方がよく覚えているみたいだね。
― 養蚕を復活させることになったのは、お兄さんの片倉和人さん(愛知大学地域政策学部准教授)がきっかけだったそうですね。お兄さんは大学で教鞭を取りながら、岡谷でNPO法人「農と人とくらし研究センター」の代表として三沢区民農園のみなさんと桑の実ジャムの製造販売を手がけるなど、様々な地域づくりの活動をされていますね。
片倉さん
兄は製糸業で栄えた岡谷の歴史に注目して、三沢区民農園の人たちと再び桑を植えて育て始めていた。岡谷では昭和50年頃に養蚕は途絶えてしまっていたから昔のような桑畑もなくなっていたし、このまま廃れていくことを危惧したんだと思うよ。
― 片倉さんはいつ頃から関わっていたんですか?
片倉さん
ちょうど前回の御柱祭(2016年)の年に、自分が勤めていた会社の社長が「会社を閉じる」と言い出して。建築関係の会社だったんだけど、社長が高齢でそろそろというタイミングだった。突然、無職になってしまって兄貴に相談したら、「養蚕をやってくれないか」と言われたんだよ。
― 子供の頃はお小遣いをもらえるのが嬉しくて手伝っていた養蚕。いざ、やってみないかと言われてどう思いましたか?
片倉さん
ほかにやる人がいないんだろうなと思って。(笑)
だから自分が伝統を受け継ぐ、みたいな気持ちで始めた訳ではないよ。
養蚕はひとりではできない、周りの助けがあってできること
― 養蚕の基本的な技術はどうやって学んだんですか?
片倉さん
子供の頃に手伝ったと言っても、実際に自分で飼ったことはないので、箕輪町の養蚕農家さんに通って3年間修行したよ。
― 50代で3年間の養蚕修行は覚悟がいりましたね。
片倉さん
いや、そんな覚悟なんていらなかった。流されて生きているから(笑)
目の前のことをただ一生懸命やってきた。
― 研修で印象に残っていることはなんですか?
片倉さん
当時、研修先では飼っているカイコの頭数が多かったし、年に4回養蚕をやっていたので、思っていた以上に作業がハードだった。温度管理や技術的なことも大事だけど、質の良い桑の葉をカイコに与えることが何より大事だと教わった。
去年の春、桑が遅霜にやられてしまい、その時は研修でお世話になった養蚕農家さんに相談したんだ。自然相手のことだから思わぬ苦労も多いけど、相談できる人たちがいて本当に助かった。
3年修行して、自分で始めてみて感じることは1人でやってるんじゃないということ。
周りの助けがあるからやれてるんだよね。
1人じゃ無理だよ、養蚕は。
― 今日は「担い手育成プログラム」に参加されている皆さんがお手伝いに来ていますが、全員女性ですね。女性がこれだけ熱心に学びに来ていることをどう思いますか?
片倉さん
面白いね、女性の方が養蚕に興味を持つ人が多いみたいで。
― 女性でも力仕事的に大丈夫なんでしょうか?
片倉さん
桑を切って持ってくる時だけだね、力仕事は。
養蚕が始まったら大体1ヶ月の間にカイコがどんどん成長して桑を与える回数と量が増えていく。カイコが5齢になると与える桑の量が半端ない。多いときは1日に2回、軽トラックいっぱい桑を取ってくるし、桑やりも1日に4回やってるよ。
― 良い繭を作るにはカイコの餌となる良い桑を育てることが大事と聞きました。桑畑の手入れなどでご苦労されている点はありますか。
片倉さん
何が大変って草刈だよ。
三沢区民農園の人たちに手伝ってもらっているけれど、草はすぐ伸びてくるから。
以前三沢区民農園でヤギを飼っていたことがあるけど、雑草より桑の方がおいしいようで草刈りには向かなかったね。すごく喜んで桑を食べてたよ(笑)
― 養蚕が盛んだった頃はどうしてたんでしょうか?
片倉さん
昔は家族だよ。家族単位でやっていた。
ひとつの家族で飼えるカイコの量は限られている。面倒を見られる量だけ飼う。どこもそうしてた。養蚕は年4回出来る現金収入だったから。そこが野菜や果物とは違うね。ところが工業が盛んになってみんな養蚕をやめてしまった。
たくさんの人が関わってできた繭だから、みんなが使えるものができるといい
― 養蚕農家の数は岡谷では1軒だけで、全国的にいっても200軒ぐらいなんですよ。国産シルクはいまや本当に貴重です。
片倉さん
うん、ものすごく貴重な仕事にはなっているけど、作った繭が使われていかないと。
― そうですよね、そこが大事ですよね。
岡谷シルク推進事業の一環でオール岡谷産シルクの風呂敷のプロトタイプが作られましたが、ご覧になってどう思いましたか?
片倉さん
お披露目式は市長さんもいてびっくりした。ああいう場は苦手だけど、風呂敷はじっくり見たよ。かざして見たりもしたよ。
― 自分の育てたカイコの繭が製品になってどう感じましたか?
片倉さん
広がればいいなと思ったし、どういう人が使うんだろうと思った。
ちゃんと売り出してよ、せっかく作ったんだから!
― 岡谷の繭で作ったものを広げていけるように、今年度から岡谷シルクブランド認証制度が始まります。これから岡谷産の繭の需要が高まると思います。
自分の育てた繭が糸になってそれが製品になっていくことにどんな希望を持っていますか?片倉さんが欲しいシルクの製品もお聞かせください。
片倉さん
自分が欲しいものとなると、身につけるものだな。
ワイシャツがいいかな。あとはパンツだよな。
― そういえば、片倉さんは養蚕の作業をしている時にワイシャツを着ていることがありますよね。
片倉さん
作業中は暑くて大変なんだけど、半袖にはなれない。それで古いワイシャツを作業着にするようになった。
― 下着もシャツも肌に触れるものだからシルクはとてもいいですよね。シルクは着物とかストールとか女性が使うものはイメージしやすいですが、肌に優しい機能面から考えて、男性が日常的に使うものに活用していくのもいいですよね。
片倉さん
あと、岡谷で毎年夏に行われる「太鼓まつり」でみんなが使えるものがあったらいいね。
当たり前のことだけど、養蚕も人の助けがあってできる。たくさんの人が関わってできた繭、糸で作るものならみんなが使えるものがいいよね。
― そうですね。養蚕はおよそ1ヶ月でできるという話がありますが、それはカイコが育って繭になるまでのこと。その前後に桑畑の世話から養蚕道具の手入れなど作業はたくさんあって常に人手は必要。片倉さんの養蚕をサポートしてくれている中心メンバーは三沢区民農園の皆さんですね。
片倉さん
伊藤代表、山之内顧問が中心になって人を集めてきてくれる。三沢区民農園の特徴は、婦人部の結束がすごい!自分が三沢で養蚕を始めた頃からずっと手伝ってくれている。※上蔟(じょうぞく)や※収繭(しゅうけん)の作業はもうベテランだし、婦人部がいなきゃできないよ。なくてはならない存在です。特に上蔟はカイコのタイミングがあるから、急に作業になってしまうこともある。それでもみんな来てくれるから本当に助かる。
これから続けていくために必要なのは仲間と桑畑
― 生き物と自然が相手だし、自分の思う通りにいかないことがたくさんあると思いますが、どういう気持ちで養蚕に向かい合っていますか?
片倉さん
考えないようにしているかな。苦労を苦労と思っちゃいけない。
「大変だね」ってよく言われるけど、周りが言うほどそんなに思ってないよ。
― これから先の目標はありますか?
片倉さん
だから、考えないようにしている(笑)
だって倒れたら終わるよな、そこまでさ。まあ、物好きだと思ってくれればいいよ。
― 今こうやって「担い手育成プログラム」で岡谷市以外からも養蚕を学びたいという人が現れています。それはどう思います?
片倉さん
いやすごいよね。ぜひ岡谷に来てもらえたらいいよね。
そういう人の気持ちを聞いた方がいいよ、俺なんかの話より(笑)
― そうですよね、やっぱり仲間が増えた方がいいですよね。
片倉さん
それから、今後続けていくためには、桑畑が大事。岡谷で桑畑が増えていくことも大事だと思っているよ。
( 10/9/2022)
※上蔟(じょうぞく)
十分に成熟し、糸を吐き出す準備ができたカイコを、繭を作らせるため、蔟(まぶし)に移し入れること。
※収繭(しゅうけん)
繭を蔟から取り出すこと。